「蓮玉庵(れんぎょくあん)@上野広小路・上野御徒町」のレポート。
今回は、「店舗紹介編」。
安政6年(1859年)創業。
屋号の由来は、創業者の窪田八十八(信州出身)が不忍池を眺め、蓮の葉の上にまろぶ玉のような露にちなみ「蓮玉庵」と名付けた。
元は不忍池の傍にあったものが、昭和29年(1954年)に今の場所に移った。
森鴎外の「雁」や坪内逍遙、樋口一葉ら、明治の文豪作品にも当店は登場している。
また、斎藤茂吉が「池之端の蓮玉庵に吾も入りつ上野公園に行く道すがら」と短歌に読んでいる。
比較的最近では、池波正太郎がよく利用していた。
今回は、「店舗紹介編」。
安政6年(1859年)創業。
屋号の由来は、創業者の窪田八十八(信州出身)が不忍池を眺め、蓮の葉の上にまろぶ玉のような露にちなみ「蓮玉庵」と名付けた。
元は不忍池の傍にあったものが、昭和29年(1954年)に今の場所に移った。
森鴎外の「雁」や坪内逍遙、樋口一葉ら、明治の文豪作品にも当店は登場している。
また、斎藤茂吉が「池之端の蓮玉庵に吾も入りつ上野公園に行く道すがら」と短歌に読んでいる。
比較的最近では、池波正太郎がよく利用していた。
前回のレポートはコチラ→「蓮玉庵@上野広小路(2)」。
不忍池の南側、「不忍通り」のひとつ裏手の路地「仲町通り」にある。
仲町通りは、雑多なお店が軒を連ねる歓楽街で、古風な佇まいは一際目立つ。
文人墨客に愛された名店と言われるように、風格がある。
この暖簾を数々の文人がくぐったかと思うと感慨深い。
看板の書と店頭に掛けられた石額は、先代と親交の厚かった久保田万太郎氏(大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家)に依るもの。
古色蒼然とした外観とは対照的に、店内はモダンな造り。
ピカピカの石張りで、天井はR型(曲面)になっている。
総席数28席(テーブル4人掛け×7卓)。
落ち着いた雰囲気で、くつろいで食事が出来る。
壁を凹ませたニッチ棚には、古伊万里の蕎麦猪口が陳列されている。
代々使われていたものだろう。
壁には、西山 宗因(江戸時代前期の俳人・連歌師)の句が掛けられている。
「やがて見よ 棒くらはせむ そばの花 宗因」と書かれている。
その他、永六輔直筆の色紙も飾られている。
「お品書き」。
種類は多くない。
「お飲み物」のお品書き。
「昼の特別献立」。
これを頼む人が多い。
(*´∀`*)ノ マタネ!
蓮玉庵
【住所・地図】東京都台東区上野2-8-7
【電話】03-3835-1594
【定休日】月曜
【営業時間】11:30-15:30/17:00-19:30
【アクセス】
〇都営大江戸線 上野御徒町駅 徒歩5分
〇東京メトロ銀座線 上野広小路駅 徒歩5分
不忍池の南側、「不忍通り」のひとつ裏手の路地「仲町通り」にある。
仲町通りは、雑多なお店が軒を連ねる歓楽街で、古風な佇まいは一際目立つ。
文人墨客に愛された名店と言われるように、風格がある。
この暖簾を数々の文人がくぐったかと思うと感慨深い。
看板の書と店頭に掛けられた石額は、先代と親交の厚かった久保田万太郎氏(大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家)に依るもの。
古色蒼然とした外観とは対照的に、店内はモダンな造り。
ピカピカの石張りで、天井はR型(曲面)になっている。
総席数28席(テーブル4人掛け×7卓)。
落ち着いた雰囲気で、くつろいで食事が出来る。
壁を凹ませたニッチ棚には、古伊万里の蕎麦猪口が陳列されている。
代々使われていたものだろう。
壁には、西山 宗因(江戸時代前期の俳人・連歌師)の句が掛けられている。
「やがて見よ 棒くらはせむ そばの花 宗因」と書かれている。
その他、永六輔直筆の色紙も飾られている。
「お品書き」。
種類は多くない。
「お飲み物」のお品書き。
「昼の特別献立」。
これを頼む人が多い。
(*´∀`*)ノ マタネ!
蓮玉庵
【住所・地図】東京都台東区上野2-8-7
【電話】03-3835-1594
【定休日】月曜
【営業時間】11:30-15:30/17:00-19:30
【アクセス】
〇都営大江戸線 上野御徒町駅 徒歩5分
〇東京メトロ銀座線 上野広小路駅 徒歩5分
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