東京ブウブウKING

都内・中野区内・中野駅周辺のグルメガイド。 居酒屋・ラーメン・蕎麦・カレー・イタリアン・フレンチ等のお店情報と実食レポート。

カテゴリ: 東京の名所

「TOKYO MEGA ILLUMINATION(東京メガイルミ)@大井競馬場」のレポート。

大井競馬場(通称:東京シティ競馬)では、例年レース間に演出の一環としてイルミネーションを開催。
2018年より、「TOKYO MEGA ILLUMINATION(東京メガイルミ)」としてイルミネーション単独での営業を開始。
今年は、2回目。
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「株主ご招待券」を親戚から入手したので、行ってみた。
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「小石川後楽園」のレポート。

都立庭園である小石川後楽園は、江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園。
国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。
初秋の庭園では、真っ赤に染まった曼珠沙華とも呼ばれる花を多くの場所で見ることができる。
無料公開日は、みどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日)。
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今回は、「彼岸花」を見に行ってみた。
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新国立競技場(オリンピックスタジアム)は、2020年東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる場所。
国立霞ヶ丘陸上競技場の全面建替工事によって、建設中の建物である。


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GWに、「新国立競技場」に行ってみた。
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「等々力渓谷」のレポート。
等々力渓谷は、桜の名勝として知られ、都内に残る数少ない渓谷。
この渓谷は、大量の湧き水が大地を侵食してできたもの。
武蔵野台地の南端に位置し、長さは約1㎞ある。

等々力渓谷
等々力駅を降りると、駅周辺には、食事処がない雰囲気。
近くには、民家を改装した「中華料理 ざいもく家」があるにはあるが・・・。
別の場所で食事を済ませて正解!

直進し、「成城石井」を曲がると直ぐ。
「等々力渓谷と周辺の案内図」が立っている。

等々力渓谷
ゴルフ橋入り口の階段を下りると、下流に向かい遊歩道が伸びている。

等々力渓谷
谷沢橋に架かる「ゴルフ橋」。
ゴルフ橋は、昭和初期にあったゴルフ場(1939年/昭和14年に閉鎖)に行く人達の為に作られたことから命名された。

等々力渓谷
木々に風がそよぎ、川のせせらぎの音が心を癒してくれる。
都会とは思えない光景。

等々力渓谷
渓谷を流れるのは「谷沢川」。
谷沢川は、世田谷区内の湧水に端を発し、世田谷南西部を流れて多摩川に注ぐ全長約3.8㎞の川。

等々力渓谷
「等々力渓谷第3号横穴古墳」。
矢沢川にかかる橋を渡り、斜面を上がると、古墳時代後期から奈良時代(7世紀後半~8世紀)のものと推定される横穴式古墳がある。

横穴は、「おうけつ」と読む。
奈良時代に造られるようになった有力農民の墓だそうで、完全な形で残っているのは、現在この3号のみ。
1973年(昭和48年)に発見されたもので、奥行きが13mある内部からは土器などの副葬品と共に、3体の人骨が出土している。

等々力渓谷
「等々力稲荷堂・不動の滝」
椎児大師堂を出て橋を渡ると、稲荷堂と不動の滝がある。
等々力の地名の由来は、この不動の滝の落ちる音があたり一帯に轟(とどろ)いていたからだという説もある。

等々力渓谷
「椎児大師堂」。
渓谷の流れに沿って更に歩いていくと、道が二股に分かれている。
その分かれ道を右に行くと、「椎児大師堂」がある。
稚児大師像とは、弘法大師・空海の幼児期の姿。

等々力渓谷
渓谷の終盤に現れる「日本庭園の歌舞伎門」。

入園料無料で公開されている小さな日本庭園。
1973年(昭和48年)に作園されたもので、渓谷の崖地を巧みに利用してつくられている。

等々力渓谷
竹林の中に築かれた石段で上っていく途中、見つけたみかん。

等々力渓谷
さらに上っていくと、芝生の「広場」に出る。
近隣に住む人であろうか、日陰で休んでいる。

等々力渓谷
「野毛大塚古墳」
庭園を出て、住宅街へ。
環状8号線に出て暫く歩いて行くと、間もなく目前に見えてきた「玉川野毛町公園」。
その一角に、「野毛大塚古墳」がある。

帆立貝式の前方後円墳で、5世紀前半につくられたものとされている。
階段で頂上に向かう。
古墳上部には、石棺の配置や出土品などが図説されている。
古墳上部からの見晴らしは最高。

この後、来た道を戻り、「等々力駅」まで歩く。
この時期、蚊が百万石。
虫よけスプレーが必要だった。

等々力渓谷
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【住所】世田谷区等々力1-22、2-37~38
【管理】玉川公園管理事務所
【電話】03-3704-4972
【アクセス】東急大井町線 等々力駅 徒歩3分

「新宿区立 中村彝アトリエ記念館」のレポート。

中村彝は、大正期に活躍した洋画家。
「エロシェンコ像」、「少女裸像」、「頭蓋骨を持てる自画像」などが代表作。
一時、「新宿中村屋」の相馬愛蔵・黒光夫妻の好意で中村屋裏のアトリエにいた。
1916年(大正5年)、新宿区下落合にアトリエを新築し、そこに住んだ。
以後、彝は1924年(大正13年)、37歳で亡くなるまで、このアトリエでの創作を行う。

2013年(平成25年)3月17日、新宿区下落合に残るアトリエ跡が復元され、「新宿区立中村彝アトリエ記念館」としてオープンした。

新宿区立中村彜アトリエ記念館
このアトリエが「中村彝アトリエ記念館」になるまでには、多くの時間がかかっている。
中村彝が亡くなった後、この家は、画家の鈴木誠氏【1897年(大正8年)-1969年(昭和44年)】が住んでいたため、アトリエはそのまま残っていた。

新宿区立中村彜アトリエ記念館
建てられた当時の景観そのままに復元されている。

新宿区立中村彜アトリエ記念館
展示室では、解説パネルで彝の生涯や画業が紹介されている。

新宿区立中村彜アトリエ記念館
「中村彜のデスマスク(複製)」。

新宿区立中村彜アトリエ記念館
アトリエは、大正5年当時の建築部材を利用して復元されている。
室内には彝の使用したイーゼルや家具・調度品(複製)が展示されている。
北側に、大きな天窓がある。

新宿区立中村彜アトリエ記念館
外から見たところ。

新宿区立中村彜アトリエ記念館
こちらは、南に面した居間。
彝が晩年、療養の日々を送った部屋。
この部屋では、映像で彝の生涯や作品を紹介している。

ヾ(*´∀`*)ノ マタネ!

新宿区立 中村彝アトリエ記念館
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【住所】東京都新宿区下落合3-5-7
【電話】03-5906-5671
【休館日】
*月曜日(ただし、祝日の場合はその翌日)
*年末年始
【開館時間】10 時~16 時30 分(入館は16 時まで)
【アクセス】JR 山手線 目白駅 徒歩10分
【入館料】無料

「新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館」のレポート。

画家・佐伯祐三のアトリエだった建物を整備して、新宿区が平成22年(2010年)4月28日に開館した。
4月28日は、佐伯の誕生日。

佐伯祐三が米子夫人と結婚し、過ごした家で、1921年(大正11)に完成した。
その後、隣に自分で小部屋を増築した。
そして4年間、この地で過ごした。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「落合に住んだ文化人」が地図に掲載されている。
文学者は、「壺井栄」、「林 芙美子」、「舟橋聖一」、「武者小路実篤」、「中野重治」、「宮本百合子」、「檀一雄」、他。
芸術家は、「安井曽太郎」、「松本竣介」、「中村彜」、「里見勝蔵」、他。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「新宿区立佐伯公園」内にある。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
佐伯祐三(1898~1928)とは、大阪出身の洋画家。
手塚治虫と同じ「旧制北野中学(現・府立北野高等学校)」に在学し、「東京美術学校(現・藝大)」を卒業後、渡仏。
ブラマンクに師事、ユトリロの影響も受け、パリの街頭風景を数多く描いた。
パリで、30歳の若さで客死。
正に夭折の画家。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「新宿区立 佐伯公園」内

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「記念館の案内図」。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
展示室として公開されているのは、アトリエと小部屋の2箇所。
アトリエは、三角屋根の特徴のある建物。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
アトリエの中は、展示室になっていて、祐三の年譜や作品の写真パネルなどが展示されている。
また、隣接する小部屋の展示室では、画家としても活躍した米子夫人の作品や画業がパネルで紹介されている。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
これは、佐伯祐三旧居のミニチュア模型。
米子夫人が暮らしていた、昭和40年代から昭和50年代の写真をもとに作られたもの。
アトリエの南側に、佐伯一家が住んだ和風の母屋が建っている。
現在はテラスになっている部分。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
建物の北側から見たところ。
採光のためのガラス窓が、壁一面に取り入れられている。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
天井まで続く大きな窓の前には、「下落合風景『テニス』」の複写がイーゼルに乗せて置かれている。
この絵は、「新宿区立落合第一小学校」が所蔵。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
続いて、建物に向かって左のドアから小部屋へと入る。
この部屋は、佐伯が作ったもの。
アトリエを建てた大工さんから贈られたカンナを使って、自ら洋風の小部屋を増築してしまったらしい。
佐伯の自慢は、関東大震災でアトリエには被害があったが、小部屋の壁は落ちなかったということ。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
ミニギャラリーには、「下落合の風景」を描いたパネルが展示してあり、さらに彼の写真や年譜が貼ってある。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
これは、佐伯のライフマスク。
ライフ、すなわち生前にとったもの。
アトリエを建てた時、白い漆喰の壁に使った材料が余ったので、仲間と作ったと言われている。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「下落合風景」1926年(昭和元)頃の作。
山手線最古のガードのひとつで、明治18年に「品川赤羽鉄道線(山手線)」が開通した時、すでにこの隧道(すいどう)は造られていたらしい。

佐伯祐三が、日本で描いたものは自宅から歩いて20分圏内の風景。
彼が残した「制作メモ」によると、僅かひと月で40点近くの作品を仕上げている。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
こちらは、現在の様子。
帰りに寄ってみた。

パリで30年という短くも情熱を燃やし続けて生涯を閉じた佐伯祐三。
学生時代、友人から、「ずぼ」ちゃんというあだ名をつけられていたという。
「ずぼちゃん」とは、ずぼらだったから・・・という理由。
これは意外な一面、へぇぇぇ。
ヾ(*´∀`*)ノ マタネ!

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
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【住所】東京都新宿区中落合2-4-21
【電話】03-5988-0091
【休館日】月曜(休日に当たる時は、その翌日)・年末年始
【開館時間】
*10:00-16:30(5月~9月)
*10:00-16:30(10月~4月)
【アクセス】
*西武新宿線 下落合駅 徒歩10分
*JR山手線 目白駅 徒歩20分


「武者小路実篤記念館@仙川」のレポート。

武者小路実篤は、水のあるところに住みたいという子供の頃からの願いどおり、1955年(昭和30年)、70歳の時に調布市仙川に居をかまえ、90歳で亡くなるまでの20年間をこの地で、安子夫人と二人の静かな生活を過ごした。

武者小路実篤記念館-花菖蒲
一隅に小さな菖蒲園があり、例年6月上旬が見頃ということで訪問。
「わっ、綺麗」。

武者小路実篤記念館-花菖蒲
武者小路実篤の没後、ハナショウブ200株が植えられたそうだ。

武者小路実篤記念館-花菖蒲
文人が愛した水辺の清楚な彩りを添えている。

武者小路実篤記念館-光藻
こちらは「光藻(ヒカリモ)」で、「光ごけ」とは違うもの。
菖蒲園の片隅にある。
「ヒカリモ」は,6月から8月にかけて見ることができ、暗所で光を反射させることで、黄金色に見えるとのこと。
生息が難しいため非常に珍しく、都内ではここでしか見る事が出来ないそうだ。

武者小路実篤記念館-実篤公園
約5,000平方メートルの園内には、ウメ、コブシ、サクラ、フジ、アジサイ、ツバキなどの花木、ショウブや武蔵野の野草が花咲き、秋には木々が鮮やかに 紅葉して、四季折々の風情を醸し出す。

実篤公園@仙川
最初に見た池には、ニジマス。
こちらの池には、鯉がいた。

実篤公園@仙川
2か所ほどこのようなトンネルがあり、繋がっている。

武者小路実篤記念館@仙川
こちらは、「調布市武者小路実篤記念館」。
今回は展示品の入れ替えの為、見るところが少ないので入場料が半額だった。
パソコンで所蔵品を見て終わり。トホホ。

武者小路実篤記念館@仙川
中庭にある梅の木。
記念館の関係者が、たわわに実った梅の実を棒で落としていた。
梅酒を作るのかな?それとも梅干しかな?
そういえば我が家でも数年前、紀州南高梅で梅酒と梅干を作ったことがあったけ。

調布市武者小路実篤記念館
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【住所】東京都調布市若葉町1-8-30
【電話】03-3326-0648
【開園時間】9:00-17:00
【最寄駅】京王線 仙川駅・つつじヶ丘駅 徒歩10分
【入場料】実篤公園-無料/武者小路実篤記念館-大人200円、小・中学生100円
【その他】実篤邸内の公開・・・土・日・祝(11:00-15:00)

「実篤公園」のレポート。

花菖蒲を見に行って来た。
6月8日から16日頃までということなので・・・。

「実篤公園」とは、武者小路実篤が晩年の20年を過ごした邸宅の敷地を公園としたもの。
実篤の死後、遺族から寄贈された邸宅が整備され、1978年(昭和53年)に実篤公園として開園した。
公園内には、武者小路実篤記念館があり、旧実篤邸の公開もしている。

実篤公園@仙川
仙川駅に降り立つと、商店街があり賑わいを見せている。
のどかな風景を予想していただけに、ビックリ。

商店街を進むと、桐朋学園がある。
その西側の路地を直進。
途中、ところどころに標識があるので、分かりやすい。

実篤公園@仙川
武者小路実篤とは、小説「友情」などで知られる近・現代文学の代表的な作家。

実篤は子どもの頃から「水のあるところに住みたい」という思いを抱いており、晩年、武蔵野の自然や湧き水が豊かな仙川に居を構えたそうだ。

実篤公園@仙川
園内に入り、坂道を下る。
約5,000㎡(約1500坪)ある園内には、実篤が愛した武蔵野の自然の面影がそのまま残されている。

旧・武者小路実篤邸
武者小路実篤が晩年過ごした旧邸宅。

旧・武者小路実篤邸
実篤は1976年(昭和51年)に90歳でこの世を去るまで、この地で日がな一日小説や絵を書いていた。

旧・武者小路実篤邸
邸内は、撮影禁止なので、外から撮影する。
応接室と縁側。

旧・武者小路実篤邸
緑に囲まれた素敵な佇まい。

実篤公園
武蔵野の自然が残る園内には、清水が湧き、花々が季節を彩り、野鳥が訪れる。
池の中には、ニジマスが泳いでいる。

実篤公園
武者小路実篤の像。

実篤公園
庭園の奥に、花菖蒲が群生している。
2、3日前だったらもっと良かったかな?


実篤公園
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【住所】東京都調布市若葉町1-8-30
【電話】03-3326-0648
【開園時間】9:00-17:00
【最寄駅】京王線 仙川駅・つつじヶ丘駅 徒歩10分
【その他】実篤邸内の公開・・・土・日・祝(11:00-15:00)

「皇居東御苑」のレポート。

皇居東御苑は,旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもの。
1968年(昭和43年)から公開されている。

皇居東御苑-天守閣跡
江戸城天守跡の「天守台」。

江戸城の天守閣は明暦の大火 (1657年) で焼失してしまい、その後再建されることはなかった。
そして現在は、八代将軍吉宗によって再建された天守台だけが残っている。

皇居東御苑-天守閣跡
天守台からの眺め。
オフィス街が一望できる。

皇居東御苑-天守閣跡
天守台上から眺めた「本丸跡」。
現在は芝生の広場になり、訪れた人の憩いの場となっている。
本丸そのものは文久三年(1863年)の大火 で焼失してしまい、その後再建はされなかった。

皇居東御苑-石室
「石室」。
火災や地震などの非常時に備えて、調度品などを納めていたと言われる場所。

皇居東御苑-松の大廊下跡
「松之大廊下跡」。
江戸城内にあった大廊下のひとつ。
本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50m、幅4mほどの畳敷の廊下。
廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから松之大廊下と称された。

元禄14年(1701年)3月14日午前10時頃、赤穂藩主で勅使饗応役であった浅野長矩がこの廊下で高家肝煎の吉良義央に斬りつけた事件で一般的にも有名である。

今は跡形もなく、石碑が建てられているのみ。
立ち止まって眺めていると、「殿中でござる」の声が聞こえてきそうな感じ。

皇居東御苑-諏訪の茶屋
元々は江戸時代に造られた「諏訪の茶屋」。
現在のものは、その後明治45年(1912年)に再建されたもの。

皇居東御苑-百人番所
約50mもある長い建物は「百人番所」。

江戸城のいわゆる検問所で、甲賀組・伊賀組・根来組・廿五騎組が昼夜守衛にあたっていた。
ここでは、一組に常に100人の同心が配属されたため、百人番所と名づけられた。
城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていた。

皇居東御苑-同心番所
「百人番所」「大番所」とここ「同心番所」の3つが残っている。
ここには同心が詰め、大名の供の監視にあたっていた。

皇居東御苑-大手門
「大手門」。
江戸城の正式な登城門だった由緒ある場所。

皇居東御苑-巽櫓
「巽櫓(たつみやぐら)」。
正式には「桜田二重櫓」と呼ぶ。
手前のお濠は、「桔梗濠」。

皇居東御苑
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【所在地】東京都千代田区千代田1-1
【問い合わせ先】宮内庁 03-3213-1111
【アクセス】東京メトロ東西線 大手町駅・竹橋駅 徒歩5分

「北の丸公園」のレポート。

北の丸公園は、国の直接管理のもとに広く国民一般に開放され利用されている国民公園。
旧近衛連隊の跡地を森林公園として造成したもので、 面積は19ヘクタール。
中野駅から東西線に乗って、九段下駅で降りて散策。

北の丸公園-旧江戸城田安門
最初の門「田安門(たやすもん)」をくぐる。

創建年代も不明だが、資料によると慶長12年(1607年)11月に焼失とあるので、 慶長年間には存在していたことが分かる。
現在の田安門は、門扉の刻銘によると寛永13年(1636年)に再建されたもの。
御三卿の田安家は、将軍吉宗の第二子宗武(むねたけ)が、享保16年(1731年)北の丸に屋敷を与えられて一家を興し、 家名はこの門に由来して名付けられたもの。

北の丸公園-日本武道館
続いて、「日本武道館」。
日本武道館は、1964年開催の東京オリンピックの会場のひとつとして建設され、同年10月3日に落成。
設計は山田守。
法隆寺夢殿をモデルにした八角形の意匠である。
大屋根の稜線は富士山をイメージしている。

東京オリンピックでは、10月20日から4日連続で柔道競技が行われた。
1966年には、ビートルズのコンサートが行われた。

北の丸公園-科学技術館
科学技術館は、科学技術の知識を広く一般に普及する目的で開館され、現代から近未来までの科学技術・産業技術に関する展示物を中心に、実験型ワークショップ、科学教室、講演会も数多く開催されている。

北の丸公園
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【所在地】東京都千代田区北の丸公園1-1
【問い合わせ先】北の丸公園管理事務所 03-3211-7878
【アクセス】東京メトロ東西線 九段下駅・竹橋駅 徒歩5分

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